
ここでは特にテーマを絞らずにいろいろな話題(管理人の無謀な挑戦の記録)を掲載していきたいと思っています。
2011年、先週の薩摩ISHIN祭に続き甲冑歩きの第2戦目です。
宮崎から鹿児島へ移動する前日夜は高速道路が閉鎖になるくらいの豪雨で、鹿児島に到着したのは夜遅くでした。
その結果、例年の「いちにいさん」の黒豚しゃぶ(蕎麦汁)と焼酎にありつけませんでしたが(そのおかげで?)、例年ならば二日酔い気味の当日朝が、体調バッチリでした。
これまでの中で一番のペースで徳重神社に到着しました。
むむ、やはり前日に酒飲み過ぎるのは駄目だな・・・(笑)
徳重神社での、妙円寺詣りフェスティバルの詳しい様子は下の2005年の報告をご覧ください。
2011年は甲冑歩き2連戦でした。
その第一弾は、薩摩ISHIN祭への参加です。
薩摩ISHIN祭とは、島津義弘(惟新公)を顕彰する祭りで、
島津義弘の館が建っていた現在の鹿児島県姶良市加治木町を中心に行われる祭りです。
今回、大会主催者様のご好意によりお声がけを頂き、参加させていただきました。
当日はあいにくの雨でしたが、甲冑部隊は雨天強行!
雨の中を約15キロの強行軍を敢行し、精矛神社に詣りました。
2010年、今年も甲冑抱えて参陣するも、あいにくの豪雨。
軽トラが、冠水した道路にハマりそうな位の豪雨(苦笑)!
甲冑は、雨にぬれたらシャレにならないので断念しました。
でも、3、4人組で雨の中を甲冑で歩いておられる方々を見ました!!
脱帽!!!佐土原衆、気合で負けました。
でも、甲冑の手入れが大変そう・・・
徳重神社での、妙円寺詣りフェスティバルの詳しい様子は下の2005年の報告をご覧ください。
2009年、今年も25キロ歩いてきました。
今年の佐土原衆は従軍2人と車0人!!(笑)いやー、何とか甲冑は装備できましたが、運搬に苦労しました・・・
まさに、島津義弘が関ヶ原合戦前に、兄である島津義久に送った援軍要請の手紙の如し!!
『手前無人にて、何を申候ても、罷りなるまじくと迷惑この時に候』
<現代語訳>『私の元には軍勢が少なく、何をするにつけても問題が多く本当に困っています。』
徳重神社での、妙円寺詣りフェスティバルの詳しい様子は下の2005年の報告をご覧ください。
現場主義(笑)の管理人としては、今年は関ヶ原(岐阜県関ヶ原町)にも行ってきました。
各武将の陣地跡に立って周囲を見渡すと、色々な感情や思惑がしみじみ伝わってくるような気がしました。
それにしても、この辺では島津豊久の人気が高い・・・
その一 黒田長政陣所跡
その二 石田三成陣所跡
その三 島津義弘陣所跡
その四 島津豊久の墓
その五 阿多長寿院盛淳の墓
2008年、今年も25キロ歩いてきました。が、
今年の佐土原衆は従軍1人と車2人!!(笑)いやー、社会人は都合が付かんことがありますわ・・・
まさに、島津義弘が関ヶ原合戦前に、兄である島津義久に送った援軍要請の手紙の如し!!
『手前無人にて、何を申候ても、罷りなるまじくと迷惑この時に候』
<現代語訳>『私の元には軍勢が少なく、何をするにつけても問題が多く本当に困っています。』
徳重神社での、妙円寺詣りフェスティバルの詳しい様子は下の2005年の報告をご覧ください。
2007年も甲冑装備で25キロ歩いてきました。
今年の佐土原衆は従軍4人と車2人の大軍勢でした!!(笑)
徳重神社での、妙円寺詣りフェスティバルの詳しい様子は下の2005年の報告をご覧ください。
松江城(島根県松江市)に行ってきました。
さすがに約20万石の大名の居城だけあって、なかなかのものでした。
ちなみに築城したのは「功名が辻」にも出ていた、堀尾吉晴(茂助)→生瀬勝久さんが演じていたあの武将です。
また、歴代の城主には、茶人として有名な松平不昧公などがいます。
佐土原の人間にしてみると、城が残っているのはうらやましい限りです・・・
その一 雪の松江城下
その二 松江城内
その三 松江城本丸
その四 松江神社
2006年。今年も鹿児島では妙円寺詣りが行われました。
今年は、ただ25キロ歩くだけではなく、
甲冑装備で25キロ歩いてきました。
しかも今年は、佐土原衆は4人の大軍勢でした!!(笑)
徳重神社での、妙円寺詣りフェスティバルの詳しい様子は下の2005年の報告をご覧ください。
2005年。今年も鹿児島では妙円寺詣りが行われました。
今年は見るだけではなく、ちゃんと20キロ歩いてきました。
案の定、佐土原からの参加者には出会えませんでしたが・・・(笑)
その時の様子をまとめました。
伝統文化の行事を行う上でのノウハウが非常に勉強になりました。
江戸時代、佐土原城の殿様に、農民の貧しさを知ってもらおうとネリクリを食べてもらうことを進言した家臣がいました。
早速厨房に命じて作らせたところ、殿様の前に出されたネリクリは、何と「超豪華版ネリクリ」でした!!
殿様はこれを食べて一言、「農民はこんな美味いものをいつも食べているのか?!」
家臣はもくろみが外れて「・・・」
結局、殿様には農民の貧しさは伝わらなかったという逸話です。
この、殿様のネリクリと農民のネリクリを実際に再現して作って、食べてみようと思っています。
(どちらも今のネリクリとは違うようです)
請う御期待!!