
ここでは管理人が、高城の合戦の本編で紹介できなかったような、
どうでもいい?いえいえ、マニアックで奥深い内容を紹介します。
伊集院忠棟。彼は島津家の重臣である。
そして高城の合戦を伝える多くの文献にも、石ノ城の攻略戦、高城川原の合戦にて奮戦した記録が残っている。
にもかかわらず、「惟新公自記」という文献には逆の内容(伊集院忠棟は軍律に叛いたという内容)が記述されている。
晩年の島津義弘が、その自らの生涯の記録を書き残した「惟新公自記」における記述内容が何故そのようになったのか?
そこには当時の島津家における「大人の事情」が見え隠れしている。
「上野(穂北)城」における合戦は高城の合戦の2ヶ月前に起こったとされている。
しかし、この合戦については、島津方の文献にもあまり記述されていない。
この合戦は実在の合戦だったのか?複数の文献からその真偽を検証する。
「上野(穂北)城」における合戦の時の城主は壱岐加賀守とされている。
しかし、その合戦の9ヶ月前に、豊後へ逃げてゆく伊東義祐一行をかくまった穂北城主は、長倉洞雲斎とされている。
壱岐加賀守とは誰なのか?複数の文献からその真偽を検証する。
文献では「上野城」、「隈城」、「上下の城」という聞きなれない城が登場する。
これらの城はいったいどこの城のことなのか?