
ここでは日向国(現宮崎県)でおこった、島津氏、伊東氏、大友氏等の合戦について詳しくご紹介します。
日向国では九州地方の歴史上で、大きな意味を持つ合戦がいくつも行われています。
「木崎原の合戦」後には島津氏が三州(薩摩+大隈+日向)統一に本格的に動き出しました。
「高城(耳川)の合戦(大友-島津戦)」後には九州の軍事バランスが大きく崩れ、九州地方は本格的な戦国状態となりました。
そして最後に「高城の合戦(豊臣-島津戦)」で島津氏が敗れて九州の戦国時代が終わりました。
日向国を舞台として、九州戦国時代の時代の流れが大きく変わったのです。
この合戦記を書くにあたっては管理人なりに、できうる限りの文書、文献を読んで裏付けを取って「事実(と考えられること)」のみを書くようにしています。
また、各文献の「どうもあやしい」と思われる部分については、そのような注釈付きで紹介するようにしています。
一応、「歴史学」を名乗れるレベルには保ちたいなぁと。小説ではなく・・・(笑)。
高城の役、耳川の合戦など、文献によりいろいろな呼び方をされている合戦です。主戦場は日向国新納院(現宮崎県児湯郡木城町)にある高城と、高城城下の平地、そこを流れる高城川(現小丸川)において、大友氏と島津氏の間で行われた合戦です。
この合戦の結果により、九州の軍事バランスが一気に崩れ、九州の戦国時代が本格的に始まったとも言われています。
この合戦の最大のハイライトである高城川沿いの戦いは、よく物の本で「精強な島津軍がハリコのトラの大友軍を"釣り野伏"戦法でコテンパンに・・・」的な紹介をされています。
必ずしも間違いではありません。でもそれは例えるなら、「サッカーの試合のゴールシーンの数秒だけを見てその試合の全体像を語る」ようなものだと思います。
ここでは、最終決戦場である高城に至るまでの大友と島津の戦略はどのようなものだったのか、という俯瞰的な視点も織り込みつつ、最終決戦の高城の合戦も、具体的に描写されている文献を元に検証していきたいと思います。